短い「子ども時代」の輝かしい記憶と思い出

これは最近よく耳にする事ですが、現代人は成人するのに時間がかかるようになったと言われています。一応は、20歳で「成人」といわれているのですが、まだ学生であるケースも多く、一人前とはいい難い状況になってきました。

言葉を変えれば「子ども時代」が長くなってきた…のでしょうか?
それとも、オトナと子どもの間の思春期?が長くなってきたのでしょうか?
時代が進むにつれ、オトナになるのに時間がかかるようになってきました。
それなのに、遊ぶ時間が少なくなってしまったのはどうしてでしょうか?

ずっと昔の人たちの「子ども時代」は、もっともっと短いものでした。
戦前の殆どの庶民たちは、小学校を出たらすぐ働くのが当然だったし、戦後になっても高度成長期以前の貧しい時代には、子どもといえども早くオトナになり稼ぎ手になることが要求されました。現代人に比べると、子ども時代ははるかに短かったのです。
短い、短い子ども時代…。その分、遊びに燃焼し尽くしてきたのかもしれません。

そんな子どもたちにとって、昔から親から子へと伝えられた遊びの数々は、もってこいの遊びだったのではないでしょうか。
日本の伝承遊びといわれる遊びには、大きな特徴があります。
遊びによっては全身運動も含まれますが、手先や指を使う遊びが非常に多いということです。手や足を巧みに使った遊びが、実は日本人の手先の器用さを育て、磨きをかけてきたのではないかという事はよく指摘されることですが、脳科学の研究が進むにつれその事実も証明されてきました。

何らかの遊びに秀でた子どもは、周囲から一目置かれるし、仮に「お勉強」ができなくとも、尊敬される「英雄」になれました。子どもの世界では、1つの遊びに頭角を現すのは、仲間の信頼を勝ち取る条件でしたから、その為に子どもなりの努力をしたものです。

努力して、ひとつの技をマスターしたときには、自分なりに誇りを満たす事が出来たし、達成感はオトナになっても 忘れられない輝かしい思い出になったことでしょう。

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「遊び」を経てオトナになってきた子どもたち

いま、子どもたちは何をして遊んでいるのでしょう?
道端で子どもたちが遊んでいる姿を見かけることが本当に少なくなってしまいました。
いや、遊ぼうにも街中では昔のような原っぱも無くなってしまったし、道路で遊ぶのは危険だと禁止されてしまう…。子ども自体の数も減りましたし、学校が終われば塾通いという子どもが殆どなので、子ども同士が一緒に遊ぶ…という機会が少なくなり、自然と一人遊びが増えました。

玩具や遊び道具は、現代の方がはるかに豊かになっています。
昔の子どもでは考えられないほどの高価なものを与えられることも多いでしょう。
様々なコンピューターゲーム遊びも珍しくはありません。

昭和30年代後半以前…高度成長期以前、日本がまだ・戦中戦後の苦しみを引きずっていた時代には、生活は豊かではなかったけれども、子どもたちの周りには車の通らない道や原っぱが沢山ありました。子どもの数も多かったし、親は沢山の子どもたちの世話に、時間や手間をかけることもできませんでした。高価な玩具を買い与える事もできません。何よりも貧しかったし、まず生活を支えるのに精一杯だったのです。

だから、子どもは子どもなりに家事を手伝いながらも、自分たちの小さな世界で工夫して遊ぶしかありません。数多くの兄弟たちや近所の子どもたちと一緒に、また違う世代の子どもとも一緒に遊びました。その中で、年長の子どもは小さい子どもの面倒を見て遊んでやったし、小さな子どもは自分が遊んでもらったように、順送りで次世代の子どもと遊んでやりました。

子ども社会には、子ども社会なりのルールと規範があり、それはそのまま一人前のオトナになるための社会的訓練になっていました。リーダーシップや協調性など、遊びの中で社会性を育んできたからです。

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