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遊牧民のお遊びが…お手玉遊び

大道芸のジャグリングを初めて目にしたとき…思いませんでしたか? あっ、お手玉みたいって。その通り、実は起源は同じなのです。

この遊びのルーツは、黒海周辺の遊牧民たちの遊びからと言われています。但し、布袋ではなく、羊の踵の骨(丸いボール状)やナツメヤシ・石などをそのまま使いました。紀元前から、古代エジプトのベン・ハッサンという王子のお墓にはお手玉をしている壁画が刻まれていますし、ギリシア神話の中でも、オリンポスの神々がお手玉遊びを楽しむシーンも出てきます。また、アジア地区で一番古いとされているのはインドで、やはり石や骨片を利用して遊びました。

日本へ伝わったのは、シルクロード・中国経由で奈良時代のこと。
初めは、「いしなどり」「いしなご」と呼ばれていたように、小石を使っていました。当時は上流階級の遊びでしたが、平安時代に入ると一般の人々の遊びとして広まります。

今の形になったのは江戸時代になってから。
戦乱の世が治まり、平和な時代になってからのことです。日本では、端切れを縫い合わせた布袋の中に、豆や小石・木の実・貝殻・穀物類を入れて独自の発展をしましたが、これも農耕民族ならではの知恵かもしれませんね。

布製お手玉は
「かます型」:当時の穀物を入れる袋と同型のもの
「米俵型」:米俵の形
「枕型」:布製が枕が江戸時代後半から普及 枕の形

現代のお手玉の主流である、4枚の布を接ぎ合わせた座布団形(巴形)が広まったのは江戸時代後期から明治時代にかけてです。いまでもお手玉といえば、この4枚の布を卍型に接ぎ合わせたものが主流になっています。この形だと、縫うのに一手間かかりますが座りもよいし、お手玉がやりやすいし、パッチワークのように綺麗で可愛らしい布の配色を楽しむ事ができます。

エコロジーなんて言葉も概念も無かった時代、布は大変貴重なものでした。 
当時の人々は着る物も徹底してリサイクルし、無駄の無いように使いまわしましたが、僅かな布の切れ端や「良いとこ取り」で辛うじて使える部分を利用したことでしょう。そんな中でも、色のセンスや配色をきっと楽しんで慈しんだに違いがありません。

女の子のおうち遊びの代表的なものですが、小さな子どもでも母や祖母から作り方を習う事によって、お裁縫の基礎を身につけたことでしょう。
明治16年頃には、お手玉が商品化され浅草で売り出されるようになりましたが、殆どの家庭では手作りが当たり前だった事でしょうし、好みの配色で作る楽しみもまた格別なものであったに違いがありません。また、大正時代には袋の中に鈴や足袋の古いコハゼを入れて、愛らしい音がする工夫もされるようになりました。

平成になってから、次第に忘れられつつあるお手玉を「後世に残そう」という気運が高まり、学校や地方公共団体を中心に普及運動が広がりました。各地でサークル活動も生まれています。
平成4年には「日本のお手玉の会」が発足、海外にまで活動を広げ、お手玉による国際交流の輪が広がっています。

◆参考URL◆
日本のお手玉の会
http://www.shikoku.ne.jp/otedama/


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短い「子ども時代」の輝かしい記憶と思い出

これは最近よく耳にする事ですが、現代人は成人するのに時間がかかるようになったと言われています。一応は、20歳で「成人」といわれているのですが、まだ学生であるケースも多く、一人前とはいい難い状況になってきました。

言葉を変えれば「子ども時代」が長くなってきた…のでしょうか?
それとも、オトナと子どもの間の思春期?が長くなってきたのでしょうか?
時代が進むにつれ、オトナになるのに時間がかかるようになってきました。
それなのに、遊ぶ時間が少なくなってしまったのはどうしてでしょうか?

ずっと昔の人たちの「子ども時代」は、もっともっと短いものでした。
戦前の殆どの庶民たちは、小学校を出たらすぐ働くのが当然だったし、戦後になっても高度成長期以前の貧しい時代には、子どもといえども早くオトナになり稼ぎ手になることが要求されました。現代人に比べると、子ども時代ははるかに短かったのです。
短い、短い子ども時代…。その分、遊びに燃焼し尽くしてきたのかもしれません。

そんな子どもたちにとって、昔から親から子へと伝えられた遊びの数々は、もってこいの遊びだったのではないでしょうか。
日本の伝承遊びといわれる遊びには、大きな特徴があります。
遊びによっては全身運動も含まれますが、手先や指を使う遊びが非常に多いということです。手や足を巧みに使った遊びが、実は日本人の手先の器用さを育て、磨きをかけてきたのではないかという事はよく指摘されることですが、脳科学の研究が進むにつれその事実も証明されてきました。

何らかの遊びに秀でた子どもは、周囲から一目置かれるし、仮に「お勉強」ができなくとも、尊敬される「英雄」になれました。子どもの世界では、1つの遊びに頭角を現すのは、仲間の信頼を勝ち取る条件でしたから、その為に子どもなりの努力をしたものです。

努力して、ひとつの技をマスターしたときには、自分なりに誇りを満たす事が出来たし、達成感はオトナになっても 忘れられない輝かしい思い出になったことでしょう。

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「遊び」を経てオトナになってきた子どもたち

いま、子どもたちは何をして遊んでいるのでしょう?
道端で子どもたちが遊んでいる姿を見かけることが本当に少なくなってしまいました。
いや、遊ぼうにも街中では昔のような原っぱも無くなってしまったし、道路で遊ぶのは危険だと禁止されてしまう…。子ども自体の数も減りましたし、学校が終われば塾通いという子どもが殆どなので、子ども同士が一緒に遊ぶ…という機会が少なくなり、自然と一人遊びが増えました。

玩具や遊び道具は、現代の方がはるかに豊かになっています。
昔の子どもでは考えられないほどの高価なものを与えられることも多いでしょう。
様々なコンピューターゲーム遊びも珍しくはありません。

昭和30年代後半以前…高度成長期以前、日本がまだ・戦中戦後の苦しみを引きずっていた時代には、生活は豊かではなかったけれども、子どもたちの周りには車の通らない道や原っぱが沢山ありました。子どもの数も多かったし、親は沢山の子どもたちの世話に、時間や手間をかけることもできませんでした。高価な玩具を買い与える事もできません。何よりも貧しかったし、まず生活を支えるのに精一杯だったのです。

だから、子どもは子どもなりに家事を手伝いながらも、自分たちの小さな世界で工夫して遊ぶしかありません。数多くの兄弟たちや近所の子どもたちと一緒に、また違う世代の子どもとも一緒に遊びました。その中で、年長の子どもは小さい子どもの面倒を見て遊んでやったし、小さな子どもは自分が遊んでもらったように、順送りで次世代の子どもと遊んでやりました。

子ども社会には、子ども社会なりのルールと規範があり、それはそのまま一人前のオトナになるための社会的訓練になっていました。リーダーシップや協調性など、遊びの中で社会性を育んできたからです。

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