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折り紙の起源はラッピング技術から
連想ゲームをしましょうか?
「折り紙」から連想するものは?と問われたら、多くの方々が「鶴!」と答えるかもしれません。折り紙といえば鶴、鶴は千羽折って繋げれば病気が治るという言い伝えがありますが、病人へのお見舞いに、また平和を祈るセレモニーの飾りなどに折鶴は欠かせないアイテムになっています。大切な家族や友人が病気で倒れても、医療技術も有効な薬も無い時代には、それが一番病人のためにしてあげられることだったのかもしれません。
なぜか、俯いて一心に鶴を折るという行為は、まごころとひたむきさを感じさせます。鶴に限らず、折り紙を折る姿は祈る姿であり、無償の愛に似ているのかもしれません。
また、小さな子どもでも、折り紙で鶴が折れるようになったら一人前になった証拠でした。
連鶴のように複数の鶴が連なった形のものもあり、このレベルの物を折るには極めて高度な技が求められます。
折り紙遊びはかなり古くから…平安時代の宮廷とも、やや後の室町時代ともと言われていますが、実は定かではありません。
比較的ハッキリしているのは、室町時代の中期、将軍・足利義満が、小笠原・伊勢・今川家を、礼法の御三家に命じたことからです。
つまり、武士である幕府が、朝廷や貴族たちとのコミュニケーションをとる手段として礼法を学ばせたわけです。
その礼法の一つに「折形」(おりがた)がありました。折形とは包み方のことです。何かを包んで差し出すときの包み方、つまり今で言えば、ややフォーマルでTPOをわきまえたラッピング技術といえば分かりやすいでしょうか。
この選ばれた御三家は、包む礼法を体系化し子どもの頃から教育したそうです。小笠原家の礼法は「小笠原流」として今でも存続しています。
贈り物を包む、それも優雅な遊び心をこめて…という作法は、それ以前の平安時代の高級貴族の間では既に定着した礼法であったかもしれませんが、体系化されたのはこの室町時代です。
この礼法としての折形(ラッピング技術)は、そのまま現在の結婚式の結納品などの熨斗や目録に生きて受け継がれています。
これが折り紙のきっかけでは?ということですが…。
もちろん、紙が貴重品であった時代には単なる遊びには使えませんし、当然紙に触れることのできる子どもも一部に上流階級の子ども限られていました。
明治時代になっても、まだまだ紙は庶民にとっては貴重品、使い捨てなんてもってのほか…。まだ和紙が主流の時代でしたが、一部の幼稚園では折り紙が取り入れられていました。
「摺紙」(たたみがみ)と呼ばれ、「折り紙」になったのは明治の終わりごろです。大正時代に入って、ようやく現代の15cm四方の正方形の色紙が市販されます。
この頃から、学校教育の場にも取り入れられ家庭に普及し始めます。
また、一般の庶民で子どものために高価な千代紙、市販の色紙が買えなくとも、チラシ一枚あれば充分に楽しむ事ができたお金のかからない遊びだったからです。