トップページ > 2007年09月

「遊び」は文化遺産である

お手玉・あやとり・ビー玉・ベーゴマ・メンコ…。

懐かしい日本の子ども遊びの数々があります。
ある程度以上の年齢の方ならば、子ども時代に遊んだよ、と郷愁にかられるでしょうし、お祖母ちゃんやお祖父ちゃんから話は聞いた事がある…という方も多いと思います。
あやとりや折り紙のように、今でも子ども遊びとして親しまれているものもあれば、殆ど姿を消してしまった遊びもありますけれども…。

こういった昔ながらの遊びの数々は、たかが子どもの遊びと簡単に言えないほどの歴史と起源を持っています。殆どの遊びが、はるか古代に大陸からもたらされたものが起源となっているか、世界中に同じような遊びがあるかの、どちらかなのですが、いったん日本に紹介されると、原形を越えて日本独自の進化をしたものが殆どです。
いや、むしろ、より細やかで繊細な洗練された形で発展していきます。

まず最初のうちは、貴族階級・上流階級に伝えられ、それから時代ごとに庶民にまで普及して行きます。それも初めはオトナの遊びであったものが、子どもの遊びとして定着して行く…というパターンが多いのは、トップ・ダウンの大原則でしょうか。

上から下へと伝わって、庶民の子どもが一番下になるのですが、ここで残るか残らないかが決まります。「遊び」ですから、オトナが強制してやらせるものではありません。その遊びに魅力がなければ、面白くなければ当然途絶えてしまうことでしょう。

また、お金がかかる遊びでは続けられません。近代以前の、普通の庶民の良く言えばつつましい暮らし、もっとストレートに表現すれば食うや食わずの生活の中では「遊び」にお金なんかかけられませんから。

たかが子どもの遊びと言うなかれ!
そうして生き残ってきた遊びには、やはりそれなりの魅力があったはずです。
また時代と共に、様々な知恵と工夫を経て現在に伝えられたものは、立派な文化といえるでしょう。
あるいは、高度な美意識をもった先祖たちの遺産と呼んでも良いかもしれません。

また「遊び」の多くが、ほぼ現在に近い形で確立されたのは江戸時代になってからのことです。江戸時代といえば、鎖国状態で海外のテクノロジー情報は殆ど入らず、生産性も低く科学技術は停滞した時代…というマイナスイメージがあるかもしれません。

固定された身分差別もあり、また時には日照りや飢饉に悩まされる時もあり…というような…。
しかし、戦争の無い平和な時期が270年間続いた、というのは歴史的に見て高く評価される事なのです。この時期は、海外に類を見ない日本独自の文化を確立させ、成熟させた時代でもありました。子どもの遊び文化にとっても同じ事です。
いま改めて、スローライフな江戸時代が見直されているのも納得が出来ますね。

| Page Top ▲

じゃんけんに、定着・発展・進化の可能性を見る

じゃんけんは、簡単に順位や順番を決めたりするときなどに便利なので、今でも日常的に行われているため「遊び」という意味ではピンとこないかもしれませんが、元々は中国から伝わった「拳戯」という遊びが発展したものです。

初めて紹介されたのは16世紀ごろといわれていますが、広まったのは18世紀に入ってからで江戸時代の終わり頃までは「数拳」というオトナのお座敷遊びでした。今のじゃんけんが確立されたのは明治に入ってからで、この数拳と古くから日本にあった三すくみ拳が合体したものでは…と考えられています。

グー・チョキ・パーはそれぞれ「石」「はさみ」「紙」の三すくみを意味するのは御存知ですね?
これは石拳と言いますが、この指の形は「カエル」「ヘビ」「ナメクジ」の虫拳が原型になっています。
※ちなみに「カエル」 :手を握り親指だけを出す ⇒「紙」
     「ヘビ」  :手を握り人差し指だけを出す ⇒「石」
     「ナメクジ」:手を握り小指だけを出す ⇒「はさみ」

じゃんけんは、誰でも手軽に身体ひとつで参加できて、何の道具も必要ないので、順番を決めるときなどには非常に便利で公平な決め方なので、全国に普及してゆきました。
また、時代とともに新しい要素が加わり、今後も進化していくことも考えられます。
(例:最初はグーのルール等)

また、このじゃんけんを1つの競技として捉えて、2002年には、世界各地のじゃんけんのルールを統一した、WRPS( World  Rock  Paper Scissors  Society )という団体がカナダで結成され、毎年トーナメント戦が行われ、チャンピオンが決められているとか…。


◆参考文献◆
『子どもに伝えたい伝承遊び』 萌文書林  小川清実
『子ども遊び大全』 新宿書房 遠藤ケイ
『太陽』 昭和50年1月号  平凡社
『聞き書き 明治の子ども 遊びと暮らし』 本邦書籍 藤本浩之輔
『伝承遊び事典』 黎明書房 芸術教育研究所編
『たのしいお手玉』 渓水社 森下恵子 / 山下美佐子 / 橋本恵子
『お手玉が癒す心とからだ』 海鳥社 中原和彦

◆参考URL◆
日本文化いろは辞典
http://iroha-japan.net/

日本折紙協会・公式HP
http://www.origami-noa.com/

日本独楽博物館
http://www.wa.commufa.jp/~koma/

日本こままわし普及協会
http://www.wa.commufa.jp/~koma/mawashi/

国際あやとり協会
International String Figure Association
http://www.isfa-jp.org/

| Page Top ▲

「ゴムとび」遊びよ、永遠に!

「ゴムとび」は長なわとびの遊びから派生したものでしょう。別バージョンで進化したものと考えても良いかもしれません。なわではなくゴムを使うので、ゴムが普及した明治以降の遊びと思われます。なわを跳び越すのではなく、伸縮性のあるゴムひもを使うことで、よりバリエーション豊かな跳び方ができたので、人気のある遊びでした。

張ったゴムひもを跳ぶ単純な遊びなのですが、敏捷性と瞬発力が要求される遊びでもありました。また、地域により独自に発達したゴムとび歌(童謡や替え歌、時代によりCMソングの替え歌等)もありましたが、全国的に共通の歌は不明…というよりは存在しなかったのではないかと思われます。

ゴムの構え方(高さ)にも順序があります。クリアーする毎に段々と高くなっていきますので「段とび」と呼ぶ地域もあります。

高さは持ち役の身体の場所で決めました。
一番初めは、「靴の先」(地面とも言う)で、殆ど高さはありません。
次は「膝」ここまでは小さな子どもでも簡単に跳べます。
その次が「手」で、手を下に伸ばした位置なので「もも」とも言いました。

さて、それから少しずつ高くなり難易度も高まります。
 腰 ⇒ 胸 ⇒ 肩 ⇒ 耳 ⇒ 頭 ⇒ 天上(天井?)

ゴムとびの良さはその伸縮性です。通常のなわやハードルではとても跳び越せない高さでも、足をゴムひもにからげて上手く操れば跳びこす事ができます。これこそがゴムとびの醍醐味であったかもしれません。

跳び方は、各地域でほぼ共通の呼び名がありました。
・男とび(ゴムをまたいで跳び越える。単純にジャンプして跳ぶので低いうちはこの跳び方でOK)
・女とび(腰より高くなると単純なジャンプでは跳べないので、片足でゴムを押し下げて跳ぶ。)
・逆立ちとび(逆立ちをするように、足を高く上げてゴムをひっかけて押し下げて跳ぶ)

ゴムとびは、現在でも小学校の校庭などで遊んでいる子どもたちを見かけることもあり、忘れられずに続いて欲しい遊びの1つです。
伝承遊びというイメージとは少し違うかもしれませんが、ゴムひも1本あれば出来る遊びでもあり、友だちと一緒に遊べるという良さもあります。次の世代へ、そのまた次の世代へと引き継がれていけば、それは立派な伝承遊びといえるからです。
「ゴムとび」遊びよ、永遠に!

| Page Top ▲

世界に誇るアートとして自慢しましょ♪

折り紙に似たような遊びは世界各地にありますが、鋏も糊も使わず、折るだけで様々な形を作り出すことの出来る技は日本独自のもの。手先の器用な日本人ならではの遊びといえるでしょう。
選ばれたアーティストではない、ごく普通の人でも折れるところがスゴイのです。
その精緻で芸術性の高さはまさに芸術といって良く、世界に通用するアートといえるでしょう。

そのまま日本語で、ORIGAMIで通用するとか…。
二次元の紙を折って三次元の世界を作り出す芸術は他に類を見ません。

最近では、従来の折り紙パターンだけではなく、創作折り紙・芸術折り紙として新しい発展も見せています。創作とはいえ、伝統を守り糊も鋏も使わずに、一枚の紙から華麗に立体を作り出す技には目を見張るものがあります。

また、ただ折るだけではなく、折ってから子どもの遊び道具になる折り紙飛行機やかぶって遊べる兜も忘れてはならない折り紙遊びです。折り紙は、決まり通りに折らないと形が決まらないのですが、その分、子どもにとっては意外性がなく、楽しめないので面白くないという事もあります。綺麗だけれども、飾っておくだけ・見るだけではつまらない…のかもしれませんね。

その点、折り紙飛行機は紙の形が正方形でなくとも良いし、新聞紙をそのまま使っても良いし、広告チラシなども最もよい材料になり、何よりも紙を折った後に使って遊べるのは子どもの遊びとしては最適といえます。

なお、推理作家・佐野洋氏の小説『折り紙の殺意』という作品は、全編これ折り紙がキィになった好短編集です。折り紙に関心をお持ちの方、一読の価値アリ!
また、ミステリに新本格派のムーブメントを作った綾辻行人氏の『館シリーズ』に名探偵役で登場する島田潔氏は折り紙の名手であり、推理の傍ら何気に悪魔なんぞ折ってしまう魅力的なキャラクタです。本格ミステリに興味をお持ちの方はぜひご一読を。 

| Page Top ▲

折り紙の起源はラッピング技術から

連想ゲームをしましょうか?
「折り紙」から連想するものは?と問われたら、多くの方々が「鶴!」と答えるかもしれません。折り紙といえば鶴、鶴は千羽折って繋げれば病気が治るという言い伝えがありますが、病人へのお見舞いに、また平和を祈るセレモニーの飾りなどに折鶴は欠かせないアイテムになっています。大切な家族や友人が病気で倒れても、医療技術も有効な薬も無い時代には、それが一番病人のためにしてあげられることだったのかもしれません。

なぜか、俯いて一心に鶴を折るという行為は、まごころとひたむきさを感じさせます。鶴に限らず、折り紙を折る姿は祈る姿であり、無償の愛に似ているのかもしれません。
また、小さな子どもでも、折り紙で鶴が折れるようになったら一人前になった証拠でした。
連鶴のように複数の鶴が連なった形のものもあり、このレベルの物を折るには極めて高度な技が求められます。

折り紙遊びはかなり古くから…平安時代の宮廷とも、やや後の室町時代ともと言われていますが、実は定かではありません。

比較的ハッキリしているのは、室町時代の中期、将軍・足利義満が、小笠原・伊勢・今川家を、礼法の御三家に命じたことからです。
つまり、武士である幕府が、朝廷や貴族たちとのコミュニケーションをとる手段として礼法を学ばせたわけです。

その礼法の一つに「折形」(おりがた)がありました。折形とは包み方のことです。何かを包んで差し出すときの包み方、つまり今で言えば、ややフォーマルでTPOをわきまえたラッピング技術といえば分かりやすいでしょうか。
この選ばれた御三家は、包む礼法を体系化し子どもの頃から教育したそうです。小笠原家の礼法は「小笠原流」として今でも存続しています。

贈り物を包む、それも優雅な遊び心をこめて…という作法は、それ以前の平安時代の高級貴族の間では既に定着した礼法であったかもしれませんが、体系化されたのはこの室町時代です。
この礼法としての折形(ラッピング技術)は、そのまま現在の結婚式の結納品などの熨斗や目録に生きて受け継がれています。

これが折り紙のきっかけでは?ということですが…。
もちろん、紙が貴重品であった時代には単なる遊びには使えませんし、当然紙に触れることのできる子どもも一部に上流階級の子ども限られていました。

明治時代になっても、まだまだ紙は庶民にとっては貴重品、使い捨てなんてもってのほか…。まだ和紙が主流の時代でしたが、一部の幼稚園では折り紙が取り入れられていました。
「摺紙」(たたみがみ)と呼ばれ、「折り紙」になったのは明治の終わりごろです。大正時代に入って、ようやく現代の15cm四方の正方形の色紙が市販されます。

この頃から、学校教育の場にも取り入れられ家庭に普及し始めます。
また、一般の庶民で子どものために高価な千代紙、市販の色紙が買えなくとも、チラシ一枚あれば充分に楽しむ事ができたお金のかからない遊びだったからです。

| Page Top ▲